こんにちは、宗教を学ぶハリネズミです。
「信仰生活と日常生活は一致しているか」
聖書の言葉をもとに考えていきたいと思います。
あなたは次のような考え方をどう思いますか?
家庭や会社の人間関係は良くないけど、信仰生活は人一倍やっているから大丈夫。
、、、なんか変ですよね。しっくりこないし矛盾した感じがします。でも僕もこういう考え方になることがあるし、多くの方にも同じ経験があると思います。僕たちはしばしば信仰生活自体が目的化してしまい、隣人を愛することや社会に貢献することは二の次になってしまうのです。
しかし本来の宗教は信仰生活をすることによって、自分はもちろん、周りの人にまで良い影響を与えるもののはずです。
実は聖書でも信仰生活と日常生活のギャップがあるのは良くないよと教えています。
今日はその聖句を一緒に見ていきましょう。
悔い改めにふさわしい実を結べ
マタイによる福音書3章8節の聖句です。
聖句の解説の前に第3章の概要を見ておきましょう。
ざっくりですがこんな感じ↓
洗礼者ヨハネが民衆に悔い改めるよう訴えている。
そこにイエスが現れ、洗礼者ヨハネから洗礼を受ける。
すると天が開いて神の御霊がイエスに下り、神がイエスは神の子であることを告げる。
かなり簡単にまとめてしまいましたが、全体像をつかむのには十分だと思います。聖書はわかりにくい部分も多いので、ざっくりと内容を知っておくと理解に役立ちます。
ちなみに、「悔い改めよ。天国は近づいた。」という聖句もマタイによる福音書第3章に出てきます。
クリスチャンでなくとも一度は聞いたことがある有名な聖句ですよね。
では今回注目する箇所を前後の文も合わせて読んでみます。
ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮(まむし)の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 悔い改めにふさわしい実を結べ。 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
マタイによる福音書 3:7-9 新共同訳
「悔い改めにふさわしい実を結べ。」
この聖句の意味は、「悔い改めたなら、その通り実践しよう」ということです。
教会でのお祈りは立派なのに、家庭や会社では疎まれる人がいますよね。そして、私たち自身を振り返ってみても、何度も悔い改めの祈りをしているのに罪から抜け出せないままでいます。
おそらく当時の民衆も同じだったのでしょう。だから洗礼者ヨハネは民衆を「蝮(まむし)の子」と呼び、「悔い改めたならそれにふさわしい生活態度を実践せよ」と強く訴えているのです。
とはいえ、自分を変えるのは簡単ではありません。時間がかかって当然です。僕自身も悪い部分がうんざりするほど沢山あります。周囲の人や自分自身を傷つけることもしばしばです。でも、いつかはイエス様のような人になれるはずだと信じてい日々歩んでいます。
僕たちはより良い自分に変わらないといけない。どうしたら変われるのか(これが問題ですが)、引き続き聖書を学んでいきましょう。きっとヒントがあるはずです。
それが見つかるまで焦らず、諦めず。たまには気休めもしながら、この山登りを楽しみましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

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