・イスラム教ってどんなことを教えているの?
・コーランを読み始めたけどよく分からない😣
・「雌牛の物語」ってなにを伝えたいの?
こういった疑問に答えます。
こんにちは。宗教を学ぶハリネズミです。
今回は、コーラン第2章67〜73節に登場する「雌牛の物語」を解説していきます。
このサイトでは様々な宗教の教えを公平・中立の立場から解説しています。
≫ 参考:【簡単に解説】マタイによる福音書 第1章の教訓は?
では早速見ていきましょう!
この物語の教訓↓
アッラー(神)の言葉の意味を事細かに規定しすぎないこと。言葉の解釈にゆとりを持たせることで、多様性や生きやすさに繋がる。
雌牛の物語
あるとき、ムーサー(モーセ)がイスラエルの民にアッラーからのお告げを伝えます。
「アッラーは,一頭の雌牛を犠牲に供えることをあなたがたに命じられる。」
コーラン2:67
ところが、民たちは命令を素直に聞かず、
「色は何色?」
「歳はいくつ?」
「模様は?」
と次々に質問します。
その結果、どんどん条件は厳しくなってしまい、その雌牛を探し出すのにひどく苦労する羽目に。
それでもなんとか、条件にあった雌牛を見つけて屠ることができました。その後、とある殺人事件が起こり、犯人探しの争いが起きます。ここでアッラーから、先ほどの雌牛の肉片で死者を打てと告げられ、その通りにすると、死者が一瞬よみがえり自分を殺した犯人を指さして事件は解決します。
ここまでが雌牛の物語と呼ばれる部分です。
雌牛の物語から学ぶ教訓
イスラエルの民はアッラーの命令に素直に従わず、より詳細な命令を求めました。その結果、知らず知らずのうちに自分たちの首を絞めていってしまいます。はじめに言われた「一頭の雌牛を犠牲に供えること」にそのまま従っていれば、黒い牛でも白い牛でも、若い牛でも老いた牛でも良かったのです。
このことから、アッラー(神)の言葉の意味を事細かに規定しすぎるのはよくない、という教訓が得られます。
私たちも宗教上の教えについて、「大雑把すぎる」「もっと細かく決めてくれた方が楽なのに」と感じることがありますよね。どこからが罪で、どこまでは許されるのか、解釈の違いで争うこともしばしばです。
ですが、この物語を通して、教えを事細かに規定しすぎると自分たちにとっても不利益があると学ぶことができます。「一頭の雌牛を犠牲に供えること」ここさえしっかり守っていれば、細かな解釈の違いは豊かさとして受け入れ、それぞれの寛容さを磨く道もあるのではないでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
イスラム教とキリスト教の違いなども解説しています。
≫ 参考:【楽園追放はなかった?】キリスト教とイスラム教の違い【コーランではすぐに許される】


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